November 14, 2020

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 「笑い」というもの。

 人間はどうして笑ってしまうのか。それを考えればはとても深いものがある。


 笑いのジャンルにも色々あって、ドタバタとか皮肉とか、人間模様なんてのがある。

 動物的な笑い、生理的な笑い、理性的な笑い、社会的な笑い。

 つい笑い飛ばしたくなる逃避的な笑い。etc


 面白いコメディアンがすっかり絶えた今の日本では、無理やりな笑い。釣られ笑いというのがやたらと多い。

 お茶の間がお付き合いで笑ってやる。その寒々しさったらない。



 そんな「笑い」の中でもパロディというのは独特のものがあると思う。

 パロディというのは知的な笑いだ。

 
 オリジナルを曲げ、皮肉り、笑いを作る。

 その対比がおかしく、面白い。

 そこには皮肉や批判さえ盛り込まれていて、感心しながら笑ってしまう。


 この映画はパロディという意味では先進的な映画であり金字塔だったと思う。




 かつて、既存のメディアは政治批判などしなかった。

 大衆を操作することに罪悪感があったから。報道の中立性を堅持しようとしていた。

 だから、せめてパロディで政治や世間の風潮というものをあぶりだして見せたのだ。


 今はメディアにそうした節度は期待できなくなった。

 お笑いタレント風情が政治発言をして開き直れる世の中だ。

 パロディも劣化し、いたずら書きのようなものでしかない。

 人を貶めるだけで、笑いなどない。

 果てはフランスのシャルリー某のような奇怪な主張になる。


 中国共産党の批判や天安門の弾圧さえ流されない。世界中で情報が操作され、歪められる。

 せめてパロディで対抗するぐらいの気概はないのか。








(22:20)
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