November 2020

November 27, 2020

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13日の金曜日というのは、キリストがゴルゴダの丘へ引き回され、磔にされた日とされる。

 それで不吉な日とされる。

 実際にはアメリカやいくつかの国でのイメージであり、他の国では13人の最後の晩餐で13という数字だけだったり、金曜とか火曜とか、各種雑多な迷信が混じっていて、たまたま一部の国で不吉ということになっているということのようだ。





 本作はアメリカ映画、その不吉とされる言葉をそのまま映画のタイトルとした。

 単にスプラッターものという枠を越え、亜流・傍流の作品が出た。これほど広がりのある作品になったのはこのタイトルの効果も大きいだろう。


 この映画のおかげかどうか、日本でも「13日の金曜日は不吉」というイメージが定着している。
 まるでハロウィンのような感じがしないでもない。


 人口の8割近い人々が、「神の存在を信じている」と言われるアメリカで、こうした不吉だと広まっている名称をホラー映画のタイトルに使うというのは一種、不思議な感覚ではある。

 これが他の国なら背信的であるとか反キリスト教的であるなどとして騒がれたりするだろうからだ。


 きっとそこはアメリカ的な考え方の軽やかさであって、フィクションの世界とリアルな現実世界とが混同されることがあまりないのだろう。

 アメリカの大人っぽさを感じるところだ。




 映画のタイトルというのは重要なものだ。

 多くの人々が頭をひねり、苦心して作品を世に送り出す。



 それが洋画が日本に輸入される時になると、ここで躓くことが多い。

 無能だが責任をとらされない社員とかがいて、配給会社で安直な日本語のタイトルにしてしまったりする。

 中にはタイトルにネタバレを含んでしまっているような無残なタイトルさえあったする。


 正社員が会社に寄生するようになると、こんなことがよく起きる。

 中にはまれに日本語タイトルの方が秀逸だというケースもあるが、ほとんどの場合、邦題というのはおかしなものだww。



 こうした、わざわざ原題を変えて邦題にするケースが多いということ、必要もないのに邦題にするケースが多いために妙な邦題がつけられてしまうのは、日本のある種の不文律にも由来していることからだと思う。


 いくら教育がしっかりしている日本と言っても、他国言語、他の民族の言葉、英語にでさえあまり日本人は寛容ではないということがまずある。

 例えばタレントなどが英語が話せたとしてもなかなか見せられないものだし、お馬鹿キャラで通っている連中が英語などを不用意に話したりすると「ナマイキだ」と茶の間からとたんに嫌悪されてしまう現象がある。


 我が国では、正しい日本語を話すことは常識を知っているか以上に厳しい視線が向けられるものだ。

 その裏返しとして、わざとらしく日本語を歪ませたり言葉遊びをしたりしているようでも、実はその裏には黙って区別しようとしている厳しい視線というものがある。

 こういうものが日本に滞在している外国人には理解できない(笑)。




 日本人は、異質で相容れないモノを見分けるのに日本語の言語感覚を無意識に使っている。

 だからおそらく、どんな言語学者にとっても、日本語で受け入れらるようになった外国語・外来語と、相変わらず違和感がしかないような外来語、その理由はきっと難しいものに違いない。


 こと映画ということに限っても、そうした日本人の言語感覚はあって、その結果、大きく外してしまったり頓珍漢だったりする邦題があったりすることになる。


 日本語イコール日本文化であり、ただのローカライズと考えてしまうと間違うのだ。

 日本の映画の観客は、そうしたことも分かって観ているようにも思える。







(20:53)

November 24, 2020

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最近の映画はドンデン返しばかりだ。

 音楽で言えば「転調」とか「変調」ということになるだろうか。

 まるでそれだけを目的化している感じの作品がある。


 これがあまり気持ちがよくない。

 映画をすっかり見慣れた人々が作品に驚きを求めて、観客の予想を裏切る映画に喝采を送る。



 製作者側もこれに応えようとするのだが、全体のストーリーとしてのまとまりが犠牲になってしまう。


 それこそ起承転結どころではない。

 


  まるで、「ないものねだり」の虚しい期待。
  
 ジェットコースターのようにわざわざ絶叫するために列を作っているようなものだ。

 わざとらしい盛り上がり。

 映画はそんな期待でも必死に応えようとする。後ろには投資家、プロデューサーの姿が見えるようだ。


 ストーリー本来の構成はどこへ行くのだ。

 昔の映画はそんなことはなかった。

 原作があり、自然な構成や展開というのものがあった。




 本作は「タイムマシン」や「透明人間」を書いた作家の作品が原作だ。

 今で言えば「秘密実験」モノと言う感じだろうか。

 やや「ゾンビ系の映画」と共通するものがある。


 バートランカスターが出ているのにあまり知られてないようで、実にもったいないと思う。




 






(21:16)

November 18, 2020

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 年上の女性に寄せる恋心。

 そんな素敵な想い出は誰にでも少なからずあるだろう。


 もたげ始めた少年・青年の恋愛への憧れ、異性への高まる興味。

 それは禁断の木の実だ。

 「まだ子供っぽい」と、成長の早い女性からすれば男はたいてい軽くあしらわれてしまう。わずかの歳の差でも女性は早く大人になる。


 それでも恋に恋をして、男は年上の女性への思慕を募らせる。

 そんな感情は歳をとっても残る。



 いくつになっても、年上の女性に憧れるような気持ちは男にはあるものだと思っている。

 今、海外サイトなんかを見るとMILF なんてのがキーワードで上位に来る。

 先進国は高齢化が進んでいるはずだ。

 なのになぜこんな若々しいキーワードがくるのかw。


 別に世の中、マザコンばかりというわけではない。

 自分が年上の女性に「愛のてほどき」を受ける、そんな夢は歳をとってもみなが持っているものだから。

 そこに投影するのは若い自分なのだろう。



 女性は早く大人になり、大人の男、成熟した歳のいった男を求めたりする。若い男をそっちのけ、年上の男性に入れ込んだりする。

 やがて、その女が歳をとれば若い女性にはとうてい叶わないことを思い知ることになる。

 かつてはそうやって自分も一人前の男性を手玉に取っていたのだ。

 そうして自然と、妙齢の女性が若いツバメを求めたりするのは何かのバランスなのだろう。


 だから若い男が年上の女性にときめかせられるというのは普通だし、そういう経験はたいていの男にある。



 

 映画はダスティン・ホフマンの「卒業」の方がセンセーショナルに感じる。

 それだけ 「卒業」という映画が金字塔だったのだろう。

 これは「愛の手ほどき」というところがテーマだ。そういう目で見るとエロチックさを感じる。


 青年の欲求が前面に出ているところがエロスなのだ。

 こういう「手ほどき」というのもごく基本的なところだ。

 描かれる切なさも男としては共感してしまう。

 

(19:25)