May 2020
May 31, 2020
タイトルには替え玉という意味がある。
ヒッチコックに影響を受けたような映画、プロットもヒッチコックから借りてきたようだ。
悪くはなかった。そして少しエロチック。
なにより素晴らしかったのはフランキー・ゴーズ・トウ・ハリウッドの曲とのシンクロした映像だった。
PVでもこの映画をモチーフにしたシーンが多用される。
フランキー・ゴーズ・トウ・ハリウッドは単なる歌手に過ぎなかったのだが、このグループの最初のアルバムは素晴らしいものがあった。
盛り上げる巧みさ、精神をかきたてるようなサウンド、絶頂まで引き上げるオーラ、グループの掛け声は歌舞伎に通じるものがあった。
一枚のアルバム、一発屋で終わったが、世界を席巻したと言ってよかった。
「World is my oyster」なんて言う始末。
各方面のしったか気取りの連中がこれに激怒したが、別にいいじゃないかと思ったものだ。ケツの穴が小さいことだ。
そのくせ、Youtubeで自作自演数十億回の再生をした韓国タレントには冷笑するだけか。呆れたものだ。
日本でそれを言ったのはピーターバラカンだった。今はブサヨを止めて転向しているようだ。
まるで試作品のように作られたグループが、世界の頂点へとあっと言う間に上り詰め、そして傲慢さから転落して言った。
まさにクリエイターの「替え玉」だった。この映画によくお似合いだ。
ミックジャガーがインタビューでこき下ろすほど危機感を抱かせたのはさすがだと思った。
ムリもなかった。
ある意味では伝説だったと思っている。
すごい眺めだ
だろ
こいつは最高の眺めだよ
興奮してきた
(14:37)
May 30, 2020
どうしてもロッキーは候補に出せない自分がいるが、ランボーに関しては悪い印象はない。
邦題はランボーなのだが、アメリカで公開された時はファースト・ブラッドという名前で公開された。
フラッシュバックのように悪夢がよみがえり、ベトナムで流れた最初の血が騒ぐというわけ。
その後は子供向け娯楽映画になったが、最初の作品としては悪いものではなかった。
今でも戦地から帰った兵士に冷たい視線を送る連中はいる。
自分たちが腰抜けで何もしなかったことをひがんで、その裏返しで平和を振りかざし、冷遇しようとするのだ。
兵士たちは賞賛してもらおうとはしていない。ただ仕事を終えたのだそっとしておいてくれというだけだ。
歪んだ人間は居場所がなくなると人に対して攻撃的になる。
そうして平静を保とうとし、自分の劣等感を隠そうとし、権威主義的になり、自分を大きく見せようともがく。
それはみっともなく哀れだ。
なんだか最近、聞いたような話で洒落にならない(笑)。
もういいんだ。ランボー。
終わったんだ。
出てくるがいい。誰もお前を咎めるようなことはしない。
ここには敵はいない。
(14:00)
May 29, 2020
当時、センセーショナルなエロチック映画だという話が伝わり、それがポルノ映画館ではなくロードショーされるというので子供たちの知るところともなり、みんなが騒いだという記憶がある。
中にはどういうわけか「見に行った」なんていう女子もいて、それが「別にいやらしくなかったし普通だった」なんてスマして感想を言ったものだから男子はいたく驚いたものだ。
そろそろ性に興味が出てきた子供たちがこの微妙なエロスに衝撃を受けたのも不思議ではない。
露骨ではないじらすような、品のあるエロスがあった。
その映画ポスターは特に印象深く、乳首を露出し、籐の深い椅子に腰掛け、挑むようにこちらを見ているポスターは世間の耳目を惹きつけた。
そして裸体に光る首飾りなど、今でもモチーフとして多くの影響を与えている。
後になって知ったことだがそれこそ世界中で話題になった映画だったという。
近年死去した時には欧州ではニュースになったほどだ。
当時の日本は大島渚の映画がわいせつかどうかなんという、大島ポルノ裁判などがあったりして、しかも日本の性描写というのは常にまがまがしく、おどろおどろしいものばかりだった。
その一方で、こんな映画が封切られる海外の進みようは際立った。
この予告編を改めて見ると当時の古いタイの情景が余すところなく映されていて興味深い。
エマニエルは性を開発されるためにタイで様々な性の経験をするのだった。
古きよきタイの郷愁を誘うような映像だ。
なぜか懐かしくなる映像は必見だと思う。
性の悦びは深い。
それは人間そのものだ。怖れずに味わいなさい。
深く深く、自分の悦びを受け入れなさい。
君はそれで君自身の華を開かせることができる。
(13:01)