June 12, 2022

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 主演はケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーン。

 ヘプバーンが金字塔なのか、それともケーリー・グラントというこの組み合わせこそが金字塔だったのか、後になってみれば悩むところだ。

 ストーリー構成はやや「第三の男」に似ているような気もしないでもない。


 ジェームズ・コバーン、ウォルター・マッソーも出演しているが、彼らも当時としてもそこそこの役者だったろう。


 他にジョージ・ケネディと言う人が出ているのだが、彼は後年、邦画「人間の証明」に出演している。

 よく知られた角川映画作品による日本映画の金字塔である。

 本作ほどのヒット作品に出た役者がその後の邦画に出たということには改めて感慨深いものがある。


 本作「シャレード」はヘプバーンにとっても大ヒットとなった。



 オードリー・ヘプバーンという稀有な女性はスクリーンで光り続けた。

 それこそ文句なしのプリンセスであり、まだ駆け出しの頃の「ローマの休日」のヒロインそのものを思わせるほどだ。

 だから、本作は、まるで彼女を巡って男優たちが翻弄されたようなものにも思える。

 「ローマの休日」では彼女は23歳、「シャレード」では33歳である。

 この時、ケーリー・グラントは53歳だったという。


 チャーミングでキュート、スタイリッシュで意志が強く理知的で、とても思慮深い女性。

 オードリー・ヘプバーンは役柄も含め、理想の女性と言われたこともある。


 それは完成された、あまりに完璧すぎるイメージだったかも知れない。

 ヘップバーンは数多くのファッョンシーンでもその名を残している。

 それは、まるで輝くほどの生涯ではないか。


 しかし、ヘプバーンの後世のほとんどを占めた慈善家としての顔を考えればどうか。

 ユニセフ(国連児童基金)の親善大使としての活動である。

 そこには今からすれば疑いが多いことも事実だ。


 彼女はユニセフの親善大使として、生涯を捧げたほどその活動に打ち込んだが、その自分の立場については「役を得た」という表現さえしている。

 そして、その活動はことごとく政治問題を避けたものだった。

 いくら政治活動とこうした慈善が区別された時代であったとしても、多くの大衆に影響力を持つ人々がその時々で疑問の声を上げたものだ。

 ベトナム戦争、各地での紛争、アメリカの政策、西欧の傲慢、差別や人権などの価値観など。

 多くの声が上がった。

 ヘプバーンにはそうしたことがなかった。



 ましてや、彼女はベルギーで生まれ、ヒトラーのナチズムを体験していた。

 特にフランスの植民地支配がアフリカで未だに現代でも続いていることを彼女が問題にしなかったことには疑問が多い。

 彼女は中米やアフリカのエチオピアを訪問しているし、ベトナムすら訪れている。

 それでも、ヘプバーンは旧フランス植民地の国はなぜか訪問していず、その悲惨さを直接見ることはなかった。


 フランスは事実上、現在の今でも植民地支配を続けている。

 彼らのキレイ事とは裏腹に専制的で無法で恐怖、自由も何もない支配を彼らは未だに行っている。

 だからこそフランスの元植民地であったアフリカ各地では飢餓や政争、混乱が続いているとされる。

 イギリスの植民地であった国々と較べると、対するフランスの元植民地は抜け出せない隘路を未だに彷徨っていると言われるほどだ。

 ヘプバーンはこうした西欧の矛盾には一切コミットしていない。




 率直に言えば、このことは今のウクライナのナチズムと紛争にまつわる西側の欺瞞、それを知る我々にだけ判かることなのかも知れないということだ。

 ヘプバーンの時代はアメリカや西欧主導の世界秩序が妄信されていた時代でもあった。

 しかし彼女はユニセフという西側の偽善を演じたに過ぎなかったのかも知れない。


 今では明らかなことだが、ヨーロッパという地域は今でもナチズムが支配する白人優越主義の地域だ。

 どんなに美辞麗句や人道的なスローガンを掲げたとしてもそれは変わらない。

 ヒットラー以降も相変わらず西欧は白人優越主義に凝り固まっている。

 自分たちの無謬性を公然と表明して臆することがない。


 ウクライナ紛争で、ウクライナ住民の被害は大袈裟に騒がれているが、アメリカが侵攻したイラクでの民間人の被害はそれを数十倍上回る事実。


 ヘプバーンはこうしたユーロナチズムの欺瞞を知っていたからこそ、訪問する場所を選び、蝿がたかる子供たちを躊躇なくハグしたのかも知れない。


 彼女は西欧の優越を守る女神になろうとしたのだ。




 すなわち、彼女もやはり思想信条から生きた人ではなく、スポットライトを浴びることを求めた人間ではなかったかということだ。


 そしてもっと言えば、女優というものがどうした人生を辿るかも彼女は知っていた。

 いくら美しさを賞賛された女優とて、やがて衰えれば人からは老婆扱いされ、嘲笑さえ受けるようになることを彼女は知っていたに違いない。

 だからこそユニセフという慈善、偽善の場にヘプバーンは救いを求めたのかも知れなかった。


 彼女に窺える気丈な性格、理知的な人柄からすればこの推察はあながち間違いではないだろう。


 それを思えば本作でも暗示的なことだが、最も理知的なのはヘプバーンであり、カネを巡って争い、常に馬脚を現してしまうのは単純な男たちなのだ。


 だが、本作のヒロインもまた、亡き夫が着服したというカネの存在を知ったのではなかったか。

 本作ではヒロインはカネを返そうとするのだが(笑)。





 今、ウクライナ紛争でウクライナが民主主義国などと欺瞞され、大統領であるゼレンスキー氏は西側で英雄化されている。

 それは奇妙で嘘と捏造に基づくものだ。


 2014年から8年もの間、ウクライナは自国のロシア系住民を攻撃し虐殺し続けてきた。それを西側が非難したことさえあった。

 ウクライナでは野党は禁じられ、ロシア語を話すことは禁じられている。

 今、この国のどこに民主主義があるというのか、西側の欺瞞ははなはだしい。


 これらの事実は西側には周知のことであり、ウクライナのゼレンスキー政権にナチズムの芽生えがあることもみなが知っていることだ。

 これを知りながら西側はウクライナを担ぎ上げる欺瞞する道を選んだ。

 かつての問題を西側は今ではなかったことにし、今やウクライナはロシアの侵略に抵抗する英雄として西側のむき出しの野心の隠れ蓑になっている。

 ロシアを滅亡させようという野心だ。



 こうした、現在では露骨になってしまった西側の偽善がオードリー・ヘプバーンにもあったのだろうか。


 ロシア系住民を保護しウクライナを非武装化すること、ウクライナのナチを殲滅するという目標のためにこそロシアの作戦は粛々と遂行されている。

 このような作戦を遂行し、民間人の被害を最小限に留めようとするロシアの努力は西側の政治によって意図的に操作され、報道からは無視されたままだ。

 今でもロシアを叩くだけの印象操作と大衆操作が横行しているだけだ。


 ユニセフとて、フランス旧植民地諸国のことを考えればそのような欺瞞と無縁ではない。

 今ではそれは明白だ。

 ヘプバーンは幸いにしてそうした疑念から逃れることが出来たに過ぎない。




 果たして、ヘップバーンが生きていたとしたら、今の西欧とウクライナ紛争をどう語るだろうか。

 慈愛を知る女神は何かを言っただろうか。


 もちろん、レーガン時代には彼女はピンピンしていたしレーガンとの面会も果たしている。

 彼女はベトナム戦争の渦中にもいた。

 彼女が政治的な発言やコミットをしたことはない。


 ヘップバーンは女癖の悪いJ.Fケネディからも秋波を送られた。

 ヘプバーンが何も知らなかった無知な女性だったということもない。


 彼女はレーガンの中米政策にも沈黙したし、ベトナム戦争にもコミットすることは何もなかったのだ。

 所詮は西側によるアイコンということでしかないのだろう。

 正義などそこにはないのかも知れない。本作のように。




 本作のタイトルの「シャレード」とは、身振り手振りのジェスチュアで何を表現しているか当てるゲームのことだ。

 そこには「影絵」とか「影芝居」のようなニュアンスもあることだろう。

 本作のストーリーを見ると、死んだ夫がどんな役回りだったのか、彼は泥棒なのか裏切り者だったのか、それとも監視されていた側なのか、そうした謎を浮かび上がらせる動きを中心に物語が進んでいる。

 すなわちそれは影絵だ。

 そんなところが本作のポイントなのだろう。

 「第三の男」とよく似ているところがある。


 当時からその洒落たタイトルは話題だったに違いない。

 映画のタイトルはかくも重要な場合がある。



 ヘプバーンがもし、西欧の美化された慈善の影を消すために活動していたとしたら、そう思うと失望を禁じえない。

 それほど彼女の栄光は輝かし過ぎるのだ。

 今はどんなことでも過ぎれば疑いの起きる余地がある。そんな世の中だ。



 ロシアとプーチンに栄光あれ。







(23:29)
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